突然だが、私は夜が好きだ。というより小説やアニメで「夜行性」の登場人物が好きだといってもいいかもしれない。
夜はメインストリームから逃れ、自分を開放できるような気がする。そうでなくとも「夜」には特別な意味がこもっている気がするのだ。ChatGPTに何気に問いかけてもたら、自分が言語化できなかったものを言語化してくれた。
(「夜行性」の登場人物に惹かれると問いかけると…)
夜行性のキャラクターはしばしばミステリアスで独自の雰囲気を持っており、その背景には影のある過去や特異なライフスタイルがあることが多いです。また、夜を活動時間とすることは、日常から外れた非日常性や、自由さ、孤独な強さを象徴することもあります。こうした要素は、物語の中で興味深い対立や深みを与え、読者や視聴者にとって魅力的に映ることがあるでしょう。
引用でハイライトを引いたところが特にぐっときたポイントだ。この自由さ、孤独な強さがメインストリームを逸れたサブカルチャー的な響きがするのだ。
私はメインストリームがあまり好きではない
この記事では先程から「メインストリーム」という言葉を多用している。「メインストリーム」の定義は人により様々あるだろうが、ここでは文字通りリアルが充実している人としておこう(恋人がいるとかそういうことではなく)。
例えば日曜日の昼にやっているテレビを観て、そこで紹介されていたテーマパークなどに家族や恋人、友達と行く。メインストリームを歩いているのはこういう人なんだと思う。この生き方もすごく楽しいそうでよい。うらやましくもある。そういった人と自分を比べて時々メンタルが病むことさえある。ただ私には真似できない。というか真似したくないという気持ちが強い。
なぜ人と同じことをしなくてはいけないのか。なぜ大衆に流されなくてはいけないのか。そういう問いがいつもでてきては、「NO」と答えを出す。なぜかそこに変なプライドがある。ギリギリ10代である(執筆時点)私なりの葛藤なのかもしれない。そのことに今、文章を書いていてはじめて気づいた。
そういった私にとって現代は天国である。というのも高度に発展し、常時接続が日常的にできるようになったインターネットが存在するからだ。当たり前のことだが、YouTubeやニコニコ動画、Twitterを覗けばいつでも一風変わったことをしている人が情報発信をしている。中にはそれで生計を立てようとしてる、あるいはすでに立てている人もいる。発信している内容は決して社会的にメインストリームになれないかもしれない。しかしそのような場所に私はとても安心感を覚える。
夜はそういったメインストリームではないものも受け入れてくれる気がする。そんな夜が私は好きだ。